はじまりの場所
「う〜、さっみぃ」
 白み始めた空の下で凍える体を己の腕で擦る、車内の暖気に慣れた体に真冬の寒さは厳しいものだった。 積もった雪を踏みしめて、昇り始めた初日の出を見つめる。
 徹夜明けの瞳にまぶしい太陽の光が入ってくる。
「ん〜、明けましておめでとうって感じだな〜」
 いつもの仲間と一晩中遊んでいた圭市は、独り語ちた感想を述べた。
「感じ、じゃなくてまんまだろ。にしても、寒いな」
 隣に立つ、出来た親友が体を竦める。普段からクルマで移動するためか、冬場でもそれほど厚着をしていなかった。 せいぜい厚めのアウターを着ているくらいで、身を切るような風が寂しい首もとを撫でていく。
「そんな…身も蓋もない。まったくまじめ一辺倒なんだから哲は。なあ?寿一」
 かじかむ手に息を当てていた寿一に、同意を求める。
「はあ、でもそこが哲先輩のいいところですから」
「なんだよ、二人して…まあ、いいか。新年だし」
「相変わらずだな。お前は」
「はぁ?何でだよ」
「いや…なんでもない。気にするな」
 太陽の光を反射させてきらきらと輝く雪景色を見ながら、哲は早々に話題を終わらせる。
 うやむやにさせられたことに不満を覚えながら、まあいいかと納得し圭市は隣を見た。 長年の親友である哲は、この春から留学することが決まっていた。 こうやって一緒にバカなことが出来る期間も残り少なかった。
「とりあえず、今年もよろしくな。二人とも」
 にやっと笑って、言葉と一緒に足元に積もる雪を手にとって二人に投げつけた。 二人とも予想をしていたのか、圭市が投げるのとほぼ同時に投げ返してくる。
「このやろ〜、やりやがったな。つめてーじゃねぇか」
 まともに食らった圭市は、近くにいた寿一の腕を掴んだかと思うと雪の上に投げ倒した。 そして寿一の顔の上に両手ですくった雪を落とす。
「わゎっ、ごめんなさい。せんぱ〜い、許してくださいよ〜」
 あわてて起き上がり逃げ始めた寿一に、やだよ、と意地悪く笑いながら雪を投げつける。 一人早々と避難した哲はガキのようにじゃれあう二人を見て、元気だなあ、と独り寒そうに白い息を吐いた。
 親友の圭市と走り始めたのは高校を卒業した春だった、二人で同時に免許を取り手ごろな中古車を買っていじり、暇があっては峠へと足を向けた。 あの頃はただ純粋に二人とも速くなりたくてクルマを走らせていたのに、いつの間にか哲だけがその行為に違和感を覚えるようになった。 圭市のように走ることに光を見出すのではなく、そんな圭市をサポートする側につきたい。それが哲の夢となった。
「お前ら、いい加減にしろよ。ガキじゃないんだからさ…寿一、そろそろ7時半だけどいいのか。用事があるんだろ?」
 哲の言葉を聞いて圭市とじゃれあっていた寿一はあわてた様子で雪を払い、スープラへと乗り込んだ。
「わ、ホントにやべぇ。哲先輩、圭市先輩、また今度〜」
 慣れた運転で雪道を走り去っていく寿一を見送りながら圭市は冷え始めたFDのボンネットに腰かけ、取り出したタバコに火を点けた。
「結局最後はいつもお前と二人だよな〜」
「そうだな…」
 しみじみと呟きながら煙を吐き出す圭市を背後に哲は、完全に昇りきった太陽を見ながら同意した。
「なあ、覚えてるか?哲」
 太陽に向かう親友の背を見て、圭市の胸に懐かしい情景が蘇える。
「免許とって、オレ達が走り始めた頃のこと」
 顔だけをこちらに向けて話を促す哲に圭市はあの頃の自分に戻るような、そんな気持ちで話し始めた。
「いつも夜明けまで走って、ここでいろいろ語ったよな。将来の夢とか…」
 まだ若葉マークも取れていないような頃、ここで昇り始める太陽を見ながら二人でいつまでもくだらないようなことを熱く語っていた。 落ち着きがなくいつもその場の乗りだけで生きていた圭市をさり気なくフォローしてきた哲は、圭市の話す夢のもっぱらの聞き役だった。 物心つく前から一緒に育ってきた哲は、圭市のよき理解者だった。
「あぁ…若かったよな、俺たち。あの頃は、何でも出来るような気がしてたのになぁ」
 その頃はまだ将来のことなど何も見えていなくて、いくらでも可能性があると信じて疑わなかった。 今は到底持つことの出来ない圭市と同じ夢、走る才能に恵まれた親友をねたんだことは正直何度もあった。 いつまでも一緒に走って行けると思っていたのに、現実はそう甘くなかった。
「何だよ、いきなり大人ぶって…」
 感慨にふけるように呟いた哲の言葉に、圭市は短くなったタバコを携帯灰皿の中へとねじ込んだ。
「大人だろ?もう22だぜ、俺たち」
 圭市の横に座って、哲は苦笑する。
「まだ、22、だろ?人生はまだまだあるんだぜ、木山さんよ」
 茶化すように片眉を上げて哲を覗き込むように圭市はシニカルな笑みを向ける。
「それにしても、まさかお前がプロを目指すとはな」
 それを綺麗さっぱり無視して、哲は唐突に話題を変更した。
「なんだよ、オレが遅いとでも言うつもりか」
 聞き捨てならないと、圭市は腰を浮かして横に座る哲に冗談半分で詰め寄る。
「いや、そうじゃなくて。お前、サーキット馬鹿にしてただろ?テクだけじゃなくてマシンの性能で勝敗が決まっちまうって」
 両手を顎のラインまで上げ圭市を抑えるように、哲は苦笑した。 本気で詰め寄っているわけではないのは充分承知しているが、何らかの反応をこちら側が示さないとこの親友は不満がることを長年の経験からわかっていた。
「ああ、そのことか…正直言って今でもそう思っている節はあるよ。やっぱり、ストリートが一番好きだし…」
 浮かした腰をふたたびボンネットに落ち着けて、懐からタバコを取り出して、火をつけるでもなくただ銜える。
「じゃあ、なんでだ?」
「……」
「…俺にも、言えないのか?」
 いつもの圭市らしくない尻すぼみな回答に哲は、続きをしつこいくらいに促した。 そうでもしないと絶対言わないと、そして答えを聞いておかないといけないとそう思ったのだ。
「……置いて行かれると思ったんだよ」
 しつこい哲に思い切りため息をして、諦めたように少し逡巡して圭市は口を開いた。 この際少し俯き気味になるのは愛嬌だ。
「はぁ?」
 およそ圭市らしからぬ答えに、哲は気の抜けたようなリアクションしか取れなかった。 信じられなかったのだ、いつも我が道を行く、自信家の圭市からそんな言葉を聞けるとは。 明日は吹雪かと、そう思うくらい珍しいものだった。
「だから、お前に置いてかれると思ったんだよ! お前は、さっさと自分の進む道みつけて留学まで決めちまうし…オレだけふらふらと走り屋やってる場合じゃないって。……あ〜、カッコ悪ぃ」
 最後まで言って決まり悪かったのか、哲の視線から逃れるように圭市は頭をかきむしった。
「俺に置いていかれる?むしろ反対だろ。俺の方がそう思ってたよ。 お前は好きなコトに一生懸命だったし実際うまかったからな、俺にはそんな才能なかったし…どうも俺は裏方のほうが性にあってる」
 開いた口がふさがらないのを必死に口を閉め、一度深く深呼吸する。 何をどう思ったのか、自分と同じ様なことをこの親友も感じていたのかと思うと不思議と笑えてくる。
「お前専属の最高のメカニックになろうって、そう思ったから留学決めたんだぜ」
 こみ上げる笑いをどうにか抑え、真面目な話と、哲は続けた。
「恥ずかしいヤツめ…聞いてるこっちが恥ずかしくてたまんねぇ」
 いつになく気障な相棒に、赤面してむずがゆいけどうれしい状態を隠して圭市がぼそっと呟いた。
「…お前だけには言われたくないわ」
 ガラにないことを言ったおかげで、いつもは見られない圭市の反応に内心感心しつつも哲は、ケッと、突っ込みを入れる。
 真剣に話しているのにそれが最後まで続かない、それが圭市と哲だった。 喧嘩しても長く続かなかったし、どんなに落ち込んでいても二人で話していればいつの間にかどうでも良くなっていた。
 そんな圭市だからこそ、今でも付き合い続けることが出来るのだろう。哲は、二人で笑いあいながらもそう思っていた。
「ん〜、帰るか…」
 むず痒いような、変な雰囲気を払拭するかのように圭市は伸びながら元気よく声を発した。
「そうだな、まだお子ちゃまの圭市君はおねむの時間だし?」
 それに同意するように、いつものペースを取り戻して圭市に軽いジャブを繰り出す。
「そうそう…て、んなワケね〜だろ〜」
 乗り突っ込みの要領で哲に返し、FDのエンジンを温める。哲も自分のS15を温めた。

 春、彼らは成田空港にいた。
「俺が帰ってくるまでに有名になっておけよ?天下の高橋ぐらいに」
「当然だろ。お前が土下座して『圭市様〜、どうか貴方様のチームに入れてくださいぃ〜(泣)』って言うぐらいになってるよ」
 おどける圭市に、哲は呆れた笑いを見せる。湿っぽい空気は苦手だった。
「何言ってんだよ…」
「ま、それは冗談だけどよ。S耐で優勝するぐらいにはなってるかもよ?」
「言ってろ…お、もう行かないと。じゃあな、圭市。入院するような怪我だけはするなよ」
 いきなり真剣な顔をした哲に、圭市は少し引き締まった顔を見せた。
「ああ、わかってるよ。お前も気をつけろよ。美人な金髪のおねーちゃんのあとふらふらついてくんじゃねぇぞ」
 最後まで相好を崩す圭市に、哲は呆れたようなそれでいて安心したような笑顔を見せた。
「ばぁ〜か、んなことするか。お前じゃあるまいし。じゃ、がんばれよ。圭市」
「おぉ。哲、お前こそな…」

 この後、帰国した哲と組んだ圭市は瞬く間に頂点へと上りつめ、ル・マン制覇を成し遂げることになる。




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