君へ(仮)
 なんで、自分はこの子供と一緒にいるんだろう。青空の下、隣に立って歩く小学生を見ながら大(まさる)はこの日何度目かのため息をついた。うだるような暑さの中、二人は町外れにある目的地へと向かって歩いていた。

『お前とは絶交だ!!』
 その日、大は嫌な記憶と共に眠りから覚めた。もちろん寝起きは最悪だ。
 嫌な記憶、そう嫌な記憶だった。一番の親友と信じて疑わなかった良人(よしと)に裏切られたと思っていた、あの頃の傲慢で愚かな自分。 あの頃の自分に大は嫌悪感を持つ。今となって考えると、良人のしたことに馬鹿だなとは思っても裏切られたとは思えない。 かといって、この不器用な自分が素直に謝れるはずもなく絶縁状態はいまだ続いたままだった。
 あんな自己嫌悪に陥るような夢を見たのは枕の傍らにおいてある一通の古ぼけた手紙のせいだろう。 先日届いた懐かしい手紙、宛名には汚い字でナツキマサルと書かれている。もちろん大のことだ。
 未来の自分に手紙を書くという当時の市の行事によって大の手に届けられた手紙には、 小学生の頃の汚い字でタイムカプセルを埋めた場所が記された簡単な地図と掘り起こす日時が書かれていた。 もちろん、一緒に埋めた良人の待ち合わせ場所もしっかりと書かれている。
 大は、大きく伸びをした。
「まーちゃん、出かけるの?」
 夏休みにしては早い息子の起床におっとりした母は首をかしげながらも、朝食を並べてくれる。
「んー…」
 はっきりしない返事は、大の気持ちの表れでもある。しかし母親はそれを息子が寝ぼけているためだと解釈して、そのまま流したようだった。
 もやもやとした気持ちのまま出かけた大は、地図に書かれた目的の場所とは違う方向へと足を向けた。

「だいちゃん?」
 守られるはずのない約束、来るはずのないあいつをほんの少し待ってみよう。と、そう思ったのは今朝の夢とこの暑さのせいだ。 そうやって、戯れに待ったのがいけなかったのかもしれない。などと大が思ったときは、すでに遅かった。 目の前に現れたのはもちろん待ち人ではなくて、見知らぬ小学生だった。 いや、見知らぬというには懐かしい感じがするその顔に大は首をかしげながらも正確には思い出せないでいた。
「だいちゃん…だよね?」
 反応のない大に不安になったのか、その小学生は首をかしげ左の眉尻をかすかに下げ確かめるようにゆっくりと口にした。
「あ、ああ…」
「よかったぁ。間違えてたらどうしようかと思った。昔よりも大人っぽくなってるんだもん」
 お前は? と続ける前に小学生に割って入られた。 両手を胸の前で合わせて、安堵の笑みを浮かべるその仕草にも懐かしい感じがする。
 そういえば、大を『だいちゃん』と呼ぶのはたった一人しかいなかった。 今朝の夢に出てきた良人だけが、大をそう呼んだ。
「……お前、良人の…」
「あ、わかる? わかってもらえなかったらどうしようかと思ったよ。待ち合わせの時間も正確には決めてなかったみたいだし…」
 人の話を最後まで聞かないところまで、良人にそっくりだなどと大が思っている間にもその小学生の話は止まることがない。
「……ちゃん、だいちゃんってば。ねえ、聞いてる?」
 思考の海に沈んでいた大は、小学生に存外近くから覗き込まれていて軽く驚く。
「だいちゃんて、そういうところあるよね。人が一生懸命話してるのに自分の世界に入っちゃって耳に入ってないところ、変わってないみたいだね」
「わるかったな。…で、なんでお前がいるんだ?」
 なんで良人じゃなくてお前がいるんだ? そういった意味で大は口にしたのだが小学生は違う意味で捉えたようだった。
「なんでって…ひどいなぁ。一緒に掘り起こしに行こうって、決めてたんじゃないの?」
 良人宛の未来への手紙を片手にほほを膨らます小学生に、大は嘆息した。
「で、良人は一緒に行けって?」
 頭が痛いとでも言うように額に手を当てた大の前で、小学生は満面の笑みを浮かべた。

 こうして大は、不本意ながら小学生と二人でタイムカプセルを埋めた町外れにある山に向っているのだ。 明らかに血のつながりがない事がわかるような対照的な見た目からか、道行く人の視線が気になる大だったが小学生のほうはなんら気にしていないようだった。 何がうれしいのかニコニコと笑っている。
「なあ……。おい、ガキ」
 どうしても納得のいかない大は隣の小学生に視線を向けた。
「……」
 呼び方が気に入らなかったのか何の反応も示さない小学生の襟首に指を引っ掛けて後ろに引っ張る。
「お前だよ、お前」
 不意打ちで思ったより首が絞まったのか変な声を出した小学生は、大が襟首を離してやると先程と同じように頬を膨らませる。
「ガキじゃねーもん。もっと違う呼び方にしてよ」
「ガキはガキじゃねーか…。はあ、まったくめんどくせーな。なんて呼んでほしいんだよ」
 頭をガシガシとかいて小学生を見ると、少し考えてから偉そうに胸をそらせる。
「俺のことは、神崎様でいいよ。だいちゃん」
 ふふんと鼻で笑って大を見る小学生に、力が抜ける。何かとふざける、変なところまで良人に似ている。
「…バカか。お前なんか神崎で充分だよ」
 あほらしいと大は嘆息すると、なんだか納得のいっていない小学生――神崎を無視して話を続ける。
「なあ、良人は今何してんだ? 結局地元の大学に行ったのか?」
 気にはなっていても、意地をはってなかなか誰にも聞けなかった良人のことを大は思い切って口にした。
「そうだよ。結局あそこの大学の学生だよ。だいちゃんは?」
 小学生の言葉に大はほっとしていた。 仲たがいの一因ともなった良人の進学は、交友が途絶えた今でも絶えず心に引っかかっていたのだ。
「オレ? オレは、東京で親のすね齧って気楽な独り暮らしだよ。バイトばっかしてる」
 青い空を見上げて、大は軽く伸びをした。相変わらずさんさんと照り続ける太陽の光にも、慣れてきた。
「バイトばっかりじゃダメじゃん。学生の本分は勉学だよ、だいちゃん」
 あっついねー、と額に手をかざして目的地の方を見る小学生に大は気が抜けたような声を出す。
「…お前、ガキの癖にオフクロみてーな事いうなよ。子供は遊んでなんぼだろ」
「また、ガキっていうし…。神崎様だってば」
 ガキは、ガキだろと思いつつも、「はいはい。カンザキサマ」と一本調子で小学生をいなしていると前方に目的地の一本杉が見えた。
「やっと、見えてきたぜ。ガキのお守りしながらだと、倍疲れる…」
「…もうガキでも何でもいいや。だいちゃん、早く行こうよ」
 いくら訂正してもガキと呼ぶ大のことを諦めて、小学生は大を目的地に急かす。
「わかってるよ。って、手ぇひっぱんなよ」
 小学生に手を引かれ大は、一本杉の根元に急いだ。

 一本杉の近くで拾った手ごろな枝で根元を掘り、タイムカプセルを掘り起こす。 小学生の時は深く掘ったつもりだったが、それほど深くないなと思いながら丁寧にタイムカプセルの周りを掘り大は慎重にカプセルを地中から取り出した。
 十年ぶりに見るカプセルは随分と汚くなっていたが、蓋を取ってみると当時の色そのままに手紙や玩具が入っていた。
「あれ、こんな手紙いれたか?」
 中に入っていた比較的新しい手紙を見つけ、大は首を傾げつつ手に取る。 宛名には良人の綺麗な字で夏木大様と書かれていた。随分としっかりした字は、後になって良人が入れたものだと言うことを表していた。
「これって…」
 急いで中の手紙を読み始める。中にはあの時の謝罪が書かれていた。 悪くないはずの良人からの誠意ある謝罪に、大は胸が締め付けられるように痛くなった。
「……馬鹿だな」
 首をもたげて低く呟く大を小学生は泣いているとでも思ったのか、恐る恐るその肩に手を近づける。
「だ、だいちゃん?」
「ったく、あの馬鹿。また先走って悪くも無いのに謝りやがって! だから、大馬鹿なんだよ、なあ?」
 同意を求めるように大は小学生を見た。小学生は一瞬驚いた顔をしたものの、続いた表情には安堵と歓喜が垣間見えた。
「だいちゃん、怒ってないの?」
「怒るも何も、オレが全面的に悪いんだし。むしろオレのほうが良人に謝んないといけないんだよな」
 大のその言葉に、彼は嬉しそうに笑った。その仕草に良人を思い浮かべ、大は決心した。
「なあ、良人は今どこに居るんだ?」
「今はね…」
 彼がそう言ったところで、一瞬強い風が吹いてとっさに眼を瞑る。大が目を開けたときには、小学生の姿はなかった。


「良人っ!!」
 小学生が突然消えた後、嫌な予感がした大は、良人の母に連絡を取り市の中心にある病院に走った。 良人は今、入院しているという。ナースステーションで教えてもらった病室のドアを開けると同時に叫ぶ。 小学生の神崎があんな消え方したからとても不安だったのだ。
 一番窓側のベッドに駆け寄る。ベッドヘッドの名札には、神崎良人という文字。
「…良人?」
 今朝まではそこで寝起きしていただろうシーツのよれた跡や読みかけの雑誌はあるのに良人の姿は無かった、 開いた窓からの風を受けてクリーム色のカーテンだけが動いている。
「あなた、良人ちゃんのお友達?」
 肩で息をして呆然とする大の背中におっとりとした声が問いかける。声の主は、良人のベッドの隣に座る品のいい老婦人だった。
「良人ちゃんなら、昼間運ばれてからまだ帰ってきてないわよ」
「運ばれたって、良人に何かあったんですかっ?」
 噛み付くような勢いで老婦人に迫った大に、その老婦人はにっこりと笑い教えてくれた。

「あれ? ……だいちゃん? どしたの?」
 三年前と変わらずのほほんとした良人の声に大は談話室のドアノブを掴んだままへなへなと力が抜けたように座り込んだ。 頭に包帯が巻かれ、右足にギプスを嵌められた満身創痍の姿だがのんきにリンゴを齧っている姿は元気そのものだ。
「なんで、お前食中毒で入院してギプスなんか嵌めてんだよ…」
「…えへ。階段で転んちった」
 頬を人差し指でかきながら、あっけらかんと言う良人に近づくと、大は包帯で巻かれた頭を軽くはたく。
「えへ、じゃないだろ。えへじゃ! ったく、心配して損したよ」
「いったいなー。怪我人には優しくしてよね」
 大げさに頭を抑えて、頬を膨らます仕草に大は安心して笑みをこぼした。
「ま、何にしろ元気でよかったよ。…ほら、これお前の分」
 大は、タイムカプセルに入っていた物を良人に渡した。
「おお。タイムリーだな、さっき丁度この夢見てたんだよな。それがさー…」
「知ってるよ。…良人、高校のときは悪かった。ごめん」
 良人の話をさえぎって、大は一言謝る。すとんと落ちてきた真実に、今言わないとまたずっと言えないと思ったからだった。
「え? なんで?」
 全くわからなくて疑問符をたくさん浮かべる良人に背を向け大は、また来ると手を振り談話室を出る。 現実ではありえないことに、表面上は取り繕っていたが大の頭は混乱していた。大の許容範囲を大幅に超えた状態では、良人に説明を求められても困ると早々と逃げ出したのだ。
 とりあえず、家に帰って寝よう。そう思った大は、わき目も振らず家に帰ると夕飯も食べずにベッドにもぐったのだった。

 後日、大は良人からあの日見た夢の話を聞いた。 大があの日体験した小学生の良人との不思議な体験と同じ内容を。




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