□■□■ 妖精のランプ ■□■□[1]
「た、助けてなんだよ、助けてなんだよーっ!!」
 ちぱぱっ!
 小さな羽音を立てながら白山羊亭の窓から舞い込んだ『それ』の声に、ルディアは思わず運んでいた皿を落とし掛け、 客達は傾けていたビールのジョッキを落とし掛けていた。否、実際落とした者も居たらしく、がちゃんっという音もどこかで響いている。 だが、闖入者である『それ』は、そんな店内の様子など気にせず――自分の小さな身体をいっぱいに張って、店中に響く声を張り上げる。
 小さな体躯に突き出した虫のような薄羽。
 大きな眼には、絹糸よりも細い髪が掛かっている。
 それは、妖精だった。
「ど、どうしたんです? 何かあったんですか、妖精さんっ?」
「ど、どーしたもこーしたもないんだよっ! 大変なんだよ、助けてなんだよ!」
「落ち着いて下さいな、ね、どうなさったんです?」
「妖精の村が襲われたんだよっ!!」
「え、――えぇ!?」
 ルディアは今度こそトレイを落とした。
「悪い人間がいっぱい来たんだよっ、みんな攫って行っちゃったんだよっ! 妖精ランプにしちゃうんだって言ってたんだよっ!」
「よ、妖精ランプ?」
「妖精の身体って光るんだよ、暗いトコではより明るく、明るいトコでは仄かに、だからランプとして旅人に使われちゃうんだよっ!  ガラスに閉じ込められちゃうんだよっ! お金持ちに集められちゃうんだよっ、助けてだよ助けてだよっ!」
 ちぱぱっ、羽ばたいて声を張り上げる妖精の様子に、ルディアは困った顔で客達を見た。
■□■□■
「まあ取り敢えず――落ち着いて下さいな、妖精さん?」
 アイラス・サーリアスは苦笑して、彼女にホットミルクを差し出した。 食後の一杯にと頼んだそれは、少し砂糖を足して甘くしてある。 あわあわ、落ち着かない様子でいた妖精は、彼の手の中のコップに頭を寄せてこくこくと飲み干す ――大きさは大人の掌ほどだろうか、一般的なサイズのそれを観察しながら、アイラスは上げられた彼女の顔を見る。
「ともかく、落ち着いて事情を話して頂かなければいけませんからね。急がば回れと言いますし」
「う、うーうーうー、で、でもでもだよぅっ!」
「アイラスの言うとおりだよ、まずは落ち着いて。慌てているのなら無駄なことはしていられないでしょ? とにかく、正確な情報がなきゃね」
 レフトは水を操る要領で、ホットミルクを少量宙に浮かせた。小さな飴玉のようにすれば、妖精にも飲みやすくなる。 正直カップの中に頭を突っ込んでいるのでは、溺れそうで危なっかしいのだ。ぱく、といくつか甘いミルクを飲み込んで、息を吐く ――幾分落ち着いたらしい。
「……それで、結局何がどうしたんだ? 人間が村に襲ってきたとか言っていたが」
 カウンターに腰掛けて様子を眺めていたソル・K・レオンハートの声に、そうなんだよっ!  と妖精は軽く飛び上がる。上がり掛けたテンションは、だが学習の成果か、ぐっと堪えられた。えーとえーと、考えるようにぐるぐると彼らの周りを飛ぶ。どうやら必死で事態を纏めているらしい―― 一刻を争う割りに、暢気な情景である。
「え、えっとだね、すっごくすっごく悪そうな顔をした人間の男達がね、いきなり入ってきたんだよっ。そんでね、網をばぁあっ! って広げたんだよ! そしたらみんながその下になっちゃって、あたしは慌てて逃げたんだよっ。 連中村は荒らさなかったんだけど、みんなみんな連れてかれちゃったんだよ……ぽっつーん、なんだよっ!」
「悪そうな、って言うけれど……その顔ははっきり覚えてるのか? だったら俺が連中を脅して取り返してくるぞ」
「まあソルさん、穏便に行かなくては、ですよ……あまり事を荒立てると困るのは妖精さん達ですからね」
「うー、うーうーうー、と、とにかくとにかく、腹黒そうな人達だったんだよっ!!」
 ぴきーん。
 …………。
 瞬間、アイラスは反射的にテーブルの一角を見た。四人掛けのテーブルを一人で占領し、その酔いつぶれた身体をぐでりと伸ばしていた男である。ぐーすかぴーすかと眠りの虜だったはずだが ――彼の視線に釣られてか、妖精とレフト、ソルもその方向を見る。蒼い髪の男がうつ伏せたテーブル。
 が、跳ね飛ばされた。
「う、うわぁあぁなんだよっ!?」
「あぁぁあぁ――――――く在る所に正義あり、腹黒あるところに俺様ありーぃい!! 腹黒がどうしたプリチィちゃん、腹黒のことなら俺にまっかせなさあぁああぁ――いぃッ!! 愛と勇気と友情と魔神ッ」
「取り敢えず落ち着いて酔いを醒まして、おぢさん。」
 ばっちゃーん。
 レフトの冷静な突っ込み&冷や水魔法に、オーマ・シュヴァルツのイロモノ口上が遮られた。
 ソルが固まりながらアイラスを見る、彼は、ただ肩を竦めた。 それが全ての答えだった――流石の妖精も呆然とするが、ともかく、と再び羽を鳴らす。ちぱぱっと言う音に、四人は慌てて頷いた。
■□■□■
「んー、ふふっ、ふ・ふー☆」
「…………」
 突っ込みたい。
 とにかく突っ込みたい。
 どうしてだか、とてもとても、突っ込みを入れたい。
 レフトは目の前で繰り広げられている謎の流れ作業を眺めながら、心底からの叫びを押し殺していた。 白山羊亭の一室、酔い潰れた客を泊めるその部屋をルディアに提供され、謎のマッスルラブ親父と密閉空間にヨロシク哀愁状態で居る――のは、けっして望んでの事ではない。 むしろ、リストを眺めながら光速の一人流れ作業をやっているこの男の真意が判らない。
 突然出現させたコピー機で印刷された便箋を、次々に封筒に入れていく。 そして宛先を書き、謎の人面草達がぴょこぴょことそれを運んで行く――って言うか何、このメルヘンな草花は。
「おぢさん、俺は少年ゆえの好奇心で聞きたいことや知りたいことがとってもいっぱいあるんだけれど」
「おお、何だ何だ何でもこのマッスル親父腹黒総帥に訊ねるが良い若人よ! 子供は何を聞いたって許されるんだぞう、はっはっは」
「ッて、子供だけど子供扱いしないでよッ! 確かに背はそんなに大きくないけど――じゃなくて、さっきから何やってるんだよ?」
 問うてから、レフトはひらりと落ちた便箋の一枚を手に取った。 印刷された文字はどことなく癖のある――なんというか、こう、キラキラ的な字体だった。四十路目前の親父が使うものではないと思うが、それ以上に内容が四十路前の男のものではない。 一瞬うっと言葉を飲み込んだ彼は、アイラスの言葉を思い出し、噛み締めていた。
『レフトさんは、オーマさんに付いていて下さい。僕とソルさんは一緒に、売り手の方を探って来ます。行き付けの情報屋がありますから』
『……? オーマさん、別に一人でも平気なんじゃないのかな。俺も二人に付いて行った方がバランス的にはよさそうなんだけど』
『いーやぁ……あの人には、こう……うん、分かりますよ、多分』
 文面曰く、『今夜ナイト腹黒イロモノ親父桃源郷ウェルカムマッチョ★参上マッスル☆』。
「れ、冷静に考えて、むしろこの手紙何!? 誰に出してるの一体!?」
「おう、良くぞ聞いてくれた青少年! これこそは我が腹黒同盟がソーン全体に張り巡らせた、クーガ湿地帯の突っ込み上手な大蜘蛛もビックリ仰天☆  あの不死の王だって諦めた、そんな曰くつきの楽しいムキムキネットワークが――」
「もう少し簡潔に答えてよ!!」
「ええい、人生を急くな!! とにかく、そんな素敵んぐ☆ムキムキネットワークがリストアップした、変態ワル筋達のリストだ!」
 何、ワル筋って。
「それは悪い筋肉親父達の略称だ」
「何で心読んでるの!?」
「はっはっは、親父に不可能は無い! まあそんなわけで、その妖精ランプに対して萌え萌えしている連中にこうやって予告状を贈り付けているわけだ!」
「や、待って、こう、動く時期って言うのが――」
「そんな些細な問題など俺様の大胸筋の前ではミジンコだ!!」
「確かに大胸筋凄いけれどそういう問題じゃなくて、って言うかもう冷静になって頭冷やして、むしろ酔いを醒まして!!」
 ああ、御免アイラスさん。
 俺にできるのはこうしてマッチョなおぢさんに水をぶっ掛けることだけだったみたいだよ。
 レフトは深すぎる溜息を吐き、窓を見た。



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