「兎耳人間育成記」(第1回目) [2]
【2】
「寝てるな…」
「まだ赤ちゃんだからな」
 白山羊亭を後にした二人は、小さな箱の中の、小さな動物を見ながら会話をしていた。
 最初はソルが箱を持っていたのだが、ちょっと力を入れると中の兎が壊れてしまいそうな気がしたのか、今はスルトが箱を持っている。
 ソルの住んでいる所に着いた二人は、家の中に入り一息つくと兎を小さな箱の中から出した。
「まずは名前を決めなきゃな」
 箱から出してもらった兎は、自分が初めて見る場所におっかなびっくりしながら、辺りを見回している。
 スルトの発言に、ソルは黙って頷くと、じーっと兎をみつめた。
「……」
「ソル、兎が怖がってるぞ?」
 ソルの真剣な視線を受けて怖くなったのか、兎はスルトの手の影に隠れてしまい……スルトは手の影に入ってきた兎を見て苦笑する。
「そう言われても……」
 うー…と唸るソルに、スルトはぽんぽんと彼の頭を叩くと微笑をうかべた。
「一点だけを見ないで、周りも見てみなよ」
「……?」
 スルトの言葉の意味がよくわからず、しかし、ソルは辺りを見回してみる。何かあるのか?と。
 自分の周りには確かにいろんな物がある。机、イス、剣、本棚、窓、月……。
「あ……」
「何か思いついたか?」
 小さく声をあげたソルに、スルトは兎を撫でていた手を止めて弟を見る。
「ユアはどうかな……?」
「ユア?月に関係する精霊の一種の名前だな」
 ソルの提案に、スルトは成る程、と笑みをうかべた。月を見て、昔聞かせた話を思い出したのか、と。
「月になぞらえるなら、兎の色は白だな」
 淡く輝き、光を放つ月。その光を色で表わすならば、白という色。
「男の子と女の子、どっちに育てるんだ?」
 スルトに問われ、ソルは再度うー…と唸ると、しばらく経ってからぼそりと呟いた。
「…男の子だな」
 女の子でも良かったものの……スルトが居たとしても、果たして自分に女の子が育てられるだろうか?と考えた結果、自信が無かったためこの結論である。
 ソルの出した結論にスルトはにこりと微笑んだ。
「決めなきゃいけないことは全部決まったな」
「…ああ」
 スルトの手にすり寄っているユアに、恐る恐る手を伸ばしながら返事をするソル。今度は逃げられないだろうが……あまりに小さすぎて、触るのに勇気が要るようである。
 真剣な弟の様子にスルトはくすくすと笑い声をあげると、ユアから手を離して席を立った。
「じゃあ俺は夕飯の用意をするな。ユアの面倒頼んだぞ?」
「…わかった」
 兎と奮闘する弟を楽しそうに見ながら、スルトは今日の夕飯は何にしようかと棚を探る。
「スルト兄……」
「ん?どうした?」
 適当に材料を見繕って夕飯の支度をし出したスルトは、元気の無いソルの声にフライパンを片手にくるりと振り向く。
「ユアに逃げられた……」
「ああ、本当だ」
「……」
 スルトがいたときのユアの位置よりも、若干ではあるがユアはソルより遠ざかっている。
 スルトの率直な感想に、ソルは大きな溜息をついた。
「俺は……嫌われたのかな……」
「…少なくとも最初の印象が良くなかったみたいだな」
 ユアの様子を見てスルトは苦笑をうかべた。怯えてるとまではいかないものの、ソルを大分警戒しているようなので。
「もう一回挑戦してみたら?そんなに気負わなくてもいいから」
「……」
 にこりと笑顔と言葉を残し、スルトは夕飯作りを続行し始めた。
「やっと触れるようになったな」
「あ……」
 夕飯を載せた皿を両手に持ちつつ、スルトはソルとユアを見て笑みをうかべた。 ソルの恰好を見て、ユアが机から落ちそうになったな…というのを察したが、落とさなかったのであえて言わないでおくことにした。
 ソルはスルトにそう言われるまで気付かなかったようだ。手にユアをキャッチしたまま、イスに座り直すと、自分の手の中でもぞもぞと動くユアを見た。
「ユアは人見知りが激しいようだけど、一度慣れれば平気みたいだな」
 ソルの手の中でおとなしくしているユアを見ながら夕飯を机の上に置くと、スルトは席につきながら言った。
「嬉しいのはわかるけど、冷めないうちに夕飯にしようか」
 二人の夕飯が終わると、次はユアのご飯の時間である。
「ソル、これを摩り下ろして」
「わかった」
 スルトからおろし金を手渡されると、ソルは一緒に手渡されたリンゴを摩り下ろし始める。
「スルト兄は何を摩り下ろしてるんだ?」
 ソルがリンゴを摩り下ろし始めると、スルトもソルの隣で何かを摩り下ろし始めた。それを見てソルが問いかける。
「これか?これはニンジンだ。レンジさんが言ってたからな。バランス良く食べさせれば白くなるって」
「なるほど」
 そう言えばそんなことを言ってた気がする、そう思いながらソルはある程度リンゴを摩り下ろすと、スルトを見た。
「これぐらいでいいか?」
「ああ、十分だ」
 ソルよりも一足先にニンジンをすり終えていたスルトは、ユア用に買ってきたお皿にすり終えたニンジンを載せていた。その隣にソルの摩り下ろしたリンゴを並べて置く。
 準備のできた皿をソルがユアの前に置くと、ユアは最初お皿の上の物を警戒して近寄ろうとしなかったが……少し経つと、ちょこちょこと前に出てきてリンゴを食べだした。
「食べたな」
 一回警戒を解くと早かった。少し多めに皿に載っていたリンゴとニンジンは、綺麗にユアのお腹へと収まってしまった。
「よく、食べるな……」
「食欲は問題ないな。じゃあ明日はセロリやカボチャを増やしてみるか」
 あんな小さな体で……と驚いて目を丸くしたソルと、好き嫌いは無さそうで安心した、と笑顔をうかべるスルトであった。


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