「兎耳人間育成記」(第1回目) [3]
【3】
 ユアがソルの家に来た時は何も問題は起きなかったものの……翌日から、二人の奮闘は始まった。
「じゃあ留守番よろしくな。夕方には帰るから」
「ああ。いってらっしゃい」
 助けてくれた恩人の獣人たちを指導するために、スルトは朝食を食べてから家を出た。 まだ恐る恐るユアに接しているソルがやや心配ではあったが、朱雀もついているので大丈夫だろうと。
 その日、スルトが指導を終えて帰ると、ソルは溜息をつきながらスルトを出迎えた。
 どうした?とスルトが問うと、ソルはユアにご飯をあげようと少し目を離した隙に、ユアが机から落ちそうになったことをできるだけ詳しく話した。
「そうか……少しでも目は離せないか」
 疲れた様子のソルに、スルトは成る程なと苦笑をうかべると、ご飯を食べているユアに視線を向けた。
「机から降りてしまうユアは悪いかもしれない。でも何で机から降りようとするのかな。ソル、分かるか?」
「え……」
 突然問われて目を丸くするソルに、スルトはくすりと笑った。
「自分の知らない所に連れてこられて、一人でそこに立たされたら?」
「……」
 スルトの言葉に、ソルは難しい表情をして考え込み始めた。多分ソルならこの例え話で気付いてくれるだろう、とスルトは考えながら弟を静かに見守る。
 しばらく考え込んでいたソルであったが、答えにたどり着いたようで顔をあげた。
「誰かを探しに行くな……」
 誰もいないのなら、いる所まで歩けば良い。そう結論を出したところで、ソルはどうやらユアがなぜ机から降りようとするのかわかったようだ。
「そういうことだ」
 スルトは笑顔をうかべると、ソルの頭とユアの頭を同時にポンポンっと撫でた。
 翌日からソルはユアが部屋に慣れるまで、なるべく離れないように心掛けだしたようだった。自分がいるときでも離れる時は必ずユアと一緒に行動していたので。
 そんなこんなでソルとスルトのところにユアが来て、二週間が経とうとしていた。
「随分大きくなったな」
「ああ。来た時はこんなに小さかったのにな」
 朝食を食べ終わったユアをソルが抱き上げ、それを横からスルトが見守る。
 ユアの体は来た時に入っていた箱の三倍ほどに成長していた。今ではソルが両手で持たなくてはならないほどに。 リンゴやニンジンを主食、洋ナシやパイナップルをおやつに与えているためか、毛色はほんのり黄色に変化していた。
「今日は休みの日だからな。みんなで散歩にでも出かけるか?」
「そうだな。天気もいいし、ちょうどいいかもしれない」
 今日はスルトの休日ということもあり、ソル、スルト、ユアの三人は近くの草原へ散歩に行くことにした。二人分の簡単なお弁当と、ユアの分の果物を持つと、早速家を出る。
「ユア、大丈夫か?」
「……きゅ」
 ぴょこりとソルの持つ鞄から顔を出したユアは、自分の近くを通り抜ける人を警戒しながら、小さな返事の鳴き声をあげる。
「警戒心が強いのと人見知りが激しいのと両方だな」
「やっぱり慣れないところだと落ち着かないんだな」
 ユアの様子に苦笑をうかべるスルトとソル。草原へ出るために少し街中を歩いただけでこの様子では、すぐにユアが疲れてしまうだろうということで、街から出て迂回することにした。
「こっちの道ならユアも大丈夫だろう?」
「きゅ」
 街から出るとそこは人のまばらな、道の無い、様々な草の生い茂った平地になっていた。
「この辺も草原みたいだな」
「ユア、降りるか?」
「きゅ?」
 辺りに危険なものは見当らない。そう確認した二人は、ユアを地面に降ろしてみることにした。
 ソルは鞄からユアを抱き上げると、そっと地面の上に置く。
 鞄の中から出されたユアは、辺りの様子を窺ってなかなか動こうとしなかったが……しばらく経つと気が済んだのか、二人の足元に生えている草を食べ始めた。
「ユアの飯は持ってくる必要は無かったみたいだな」
「そうだな」
 シャクシャクシャク……と美味しそうに草を食べているユアを見て二人は笑みをうかべると、適当な木陰でもみつけて二人もご飯にしようと移動することにした。
「ユア、行くぞ」
 地面に降ろしたまま移動しても大丈夫だろう、と考えたソルは、ユアに声をかけるとスルトの後を歩き出す。
「きゅー!」
 その後を、まるで待ってと言っているかのように一声をあげてから走り出すユア。だが……
「きゅっ!?」
「!?」
 近くにあった何かにつまづいたのか、驚いたような鳴き声をあげると、一目散に二人とは逆の方向へと駆け出した。
 ユアの鳴き声に気付いた二人はすぐに後ろを振り返ったが……そこにユアの姿は無く、ユアが走り去っていく後ろ姿だけが見えた。
「ユア!止まれ!」
 突然のことに驚く暇も無く、二人はすぐにユアの後を追って走り出す。
 途中でスルトがユアに呼びかけたが、混乱しているためか効き目は無く……距離もなかなか縮まらない。
「速いな……!」
 ソルもスルトも運動神経は良く、走るのも速いのだが……流石に子兎であろうと兎は兎である。足の速さでは敵わない。
 なんとか追いつける方法を……と二人は考えながら走ること数分後……。
「あ……」
「背の高い草むらに入ったか……」
 二人は背の高い草むらにユアが逃げ込んでしまったのを見て渋い表情をうかべた。
「探し出すのは至難の技だな……」
 二人の膝近くまで伸びた草が生えた草むらの前で立ち止まった二人は、息を整えながら困った表情をうかべていた。 ユアの姿が隠れてしまい、みつけだせないかもしれない、と。
「ああ……だが不幸中の幸いだったようだな」
 しかし、その心配はあまり要らなかったようである。なぜなら……
「ここはユアには越えられないな」
 草むらの向こうはユアには越えられそうもない川が流れていたからである。警戒心の強いユアのことだ、落ちてはいないだろう。
「それにこの草むらもそんなに広くないしな」
 遠くにいたときはもっと広く見えた草むらであったが、背後に川があるためにそれほど広さを持っていなかった。
「じゃあオレは右から探していく。ソルは左から頼んだ」
「ああ、わかった」
 二人は左右に分かれると、草を分けながらユアを探し始めた。 両端から攻めていけばユアが驚いて逃げたとしても、短い丈の草が生える平地に出てくれるので、他の草むらに逃げることはない。
「ユア?」
 ソルと分かれて草むらをガサガサと音を立てながら突き進むこと十数分……。
「う、うわあぁぁんっ!!!」
 突然後方で大きな泣き声があがった。泣き声を聞いた瞬間は疑問に思ったものの……すぐにレンジの話を思い出して納得すると、ソルの元へ急いだ。
 ソルのところへ駆け寄ると、案の定困っている様子であった。スルトは微笑をうかべると、弟の頭にポンと手を置いた。
「よくみつけたな」
「スルト兄……」
 ソルはスルトが来たことでほっとすると、褒められて少し照れたような笑顔をうかべた。
 未だに泣き止まないユアをスルトはそっと抱き上げると、落ち着くように優しくあやしてやる。
「泣き止んだな」
「ああ」
 スルトのおかげですっかり泣き止んだユアは、泣き疲れてしまったのかそのまますやすやと寝始めてしまった。
「ユアもみつかったし、早いけど帰るか。散歩がかけっこになっちゃったけどな」
「そういえば……そうだな」
 赤ちゃんの小ささに驚いているソルの姿を見て、スルトはくすりと笑みをうかべた。
 真上にも無かった太陽が、今は少し傾きかけている。
 まだ明るい太陽の光を浴びながら、二人は家へと向って歩き出した。


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